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解説付き浮世絵ギャラリー

■桜と花魁−雲升
 
 
  桜と芸者(二代豊国)   タイトル 無題(桜と花魁−雲升)  
    絵 師 二代歌川豊国(歌川豊重)  
    作画期 文政〜天保期(1820年代〜1830年代前半)  
    判 型 大判縦一枚  
    版 元 大黒屋平吉  
    解 説

 毎年、桜の咲く季節になると新吉原(以降吉原と略します)では仲の町と呼ばれるメインストリートに桜並木が出現します。吉原唯一の出入口大門(おおもん)から末端の水戸尻(すいどうじり)へと続き、吉原を大きく二分する通りが仲の町です。仲の町は通りの名ですから建物がある一画ではありません。桜の時期に合わせて、この期間だけわざわざ桜を移植するのです。このような贅が出来るのも吉原ならではのこと。遊女が華麗な姿で描かれていること、黒塗りの三つ歯下駄を履いていること、桜を欄干(注1)で囲っていることなどから吉原は仲の町での光景でしょう。満開の桜を背景に当時人気の花魁が描かれている図は、今で言えば人気アイドルの写真ともいえるものでしょう。

 左上にある扇形の枠の中には、次のようにあります。
ちちがにの 雲升(注2)は
糸の絶間なく  客能より来る
名にこそありけれ

注1. 「・・・・大門口から水戸尻まで、青竹をもって欄干をつくり・・・・」(吉原大全) とあります。
注2. ようすや態度が高貴なように見えるさま。

 
 
 
  五十三次名所圖會(石薬師)   タイトル 五十三次名所圖會 四十五 石薬師 義経さくら 範頼の祠  
    絵 師 初代歌川広重  
    作画期 安政二年(1855年)  
    判 型 大判縦一枚  
    版 元 蔦屋吉蔵  
    解 説

 この浮世絵は、ファン・ゴッホが描いたタンギー爺さんの肖像(ロダン美術館蔵)にある背景の浮世絵として知られています。ゴッホは浮世絵を単なる装飾、模写に使ったのではなく日本のイメージを表現するためのモチーフとして使ったということは、五井野画伯監修の歌川派浮世絵展の図録などにより明らかにされています。この図は「富士、桜、芸者」という日本のイメージの内、桜そして春夏秋冬の四季の内、春を表わすイメージとして捉えられ、ゴッホの浮世絵コレクションNo.73となっています。
 江戸から数えて四十四番目の宿駅石薬師は、東海道の宿駅の中では規模の小さな宿駅の一つとなっています。宿駅の名にもなった石薬師寺は町の南端にあり、石薬師寺の東に源範頼(みなもとののりより)を祀る御曹子社が、この神社の南約60mに蒲桜(かばざくら)があります。範頼は義経の異母兄で蒲冠者(かばのかじゃ)ともいわれていました。範頼が平家追討のため西へ向かう途中、石薬師寺に戦勝を祈り、鞭にしていた桜の枝を逆さに挿したのが芽を出してこの桜になったと言われています。蒲桜は別名「逆桜」とも呼ばれており、諸国道中旅鏡という古文書によれば、石薬師の項には「・・・石薬師寺の向林の内に範頼祠有。又、義経逆桜といふも田畑の中にあり。」とあるので、当時はかなり淋しさの漂う田園風景の中に一本の桜が咲いているような情景だったようです。

 
           
           


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